< 対談:グローバリゼーションの中での「ゆとり教育」再考
すべては教育から



西村
私は、日本の大学院時代は貧しかったのですが、アメリカに留学している間は、授業料が免除されて、その上、奨学金をもらっていたので、日本にいるよりも恵まれていました。

加藤
アメリカでは、数学を含めて科学、そして工学の大学院生でお金を払って教育を受けている人はいますかね。授業料は、大学の方(学科=Department)で払ってくれ、奨学金(fellowship)とT.A.(teaching assistant)といって、学部生を少し教えてお金がもらえるわけです。この3つで生活はできます。すなわち、ただどころか、プラスアルファで博士号は、成績さえよければと取れます。成績が悪くなると、首になります。これを英語では、キックアウト(kick out)で、文字通り、蹴飛ばされるわけです。大学によりますが、10人中、2,3人はキックアウトです。でも、いくらアメリカ人の表現に遠慮がないとはいえ、「お前は首だ」とは言わずに、「次の学期から授業を払うべし」とか、T.A.と奨学金はなしにしますとか、要するに「出て行ってくれ」のヒントは、与えます。

西村
この30年間、日本の国公立大学の授業料が高くなってきました。それに比例して、大学院の授業料も高くなってきたため、研究者の卵が高い授業料を払い続けるために、大学外でアルバイトをしなければならなくなっています。

加藤
私立大学、ハーバード大、プリンストン大、スタンフォード大・・・の一年の授業料は、大体4万ドルとか4万5千ドルくらいと思いますから、日本円で500万円弱(1ドルは物価も考えると、150円から200円くらいだと思います)ですから、大学院生が授業料を払ってくれと言われたら、まあ出て行ってくれというようなものでしょう。又おもしろいことに、大学院時代に論文がいい専門誌から出ると奨学金を増やしてくれるから、いかにもアメリカ的です。こうして競争させるというのが、この社会の強さを保つ一つの方法でしょう。大学院生の頃から教えていたので(そのころの学生との年齢の差は、たいしてありません)、学生とは出来るだけくつろいで付き合うようにしていますが、50歳を過ぎてから、「私のことをゴローと呼びなさい」と言っても、「ドクターカトー」と相変わらず呼ばれます。やはり年のせいでしょうか。そういえば、30代のころは、女学生が手製のパイやチーズケーキを作ってくれました。 40代になったら、それがせいぜい手製のクッキーくらいに変わってゆき、50代になったら「これ、チーズケーキのレシピです、どうぞ」と変わりました。これも、やはり年のせいか。

西村
昔は、日本人も、アメリカの大学院では、授業料免除を受けた上に、奨学金をもらえていたのですが、今では、入学許可すら難しく、授業料免除は、ほとんど不可能になりました。理由は、学力が低いからです。

加藤
アメリカの大学生は、宿題を出して欲しがります。それには、理由があるのです。宿題があれば、勉強のリズムが作りやすいこと、もう一つは、どんな問題が試験に出るかが予想がつきやすいということでしょう。

前にお話ししたように、A(大変良い、4点)、B(良い、3点)、C(まあまあ良い、2点)、D(悪い、1点)、F(不合格)とあるのですが、時によれば、クラスの半分以上にDとFを与えることもあり、そして例の平均2点以下が2学期続けば退学ですから、1,2年生は、4年生とか大学院生を家庭教師に雇って(1時間10〜50ドルでしょうか。レベルによります。これは自信をもって言えることではありませんが、まあそんなものでしょう)入学してからの、1,2 年を生き残ろうとするわけです。1年生には、成績をつけない大学(名門校)もあります。それは、高校まですべてAとか、もっと上のA+をもらっていた学生が、急にC平均になって、自殺者が出たからです。入学1年間で、Cを取るのもそんなに楽ではないということをまず経験させるというのが理由の一つです。

ヨーロッパ人とかアメリカ人の白人で、子どものとき日本で育ったという人を5,6人知っております。大学に行く頃になると、日本からこちらの大学に来るという人たちのことです。その半分の人が、アメリカでは、心が落ち着かないというか、何かしっくりせず、半分以上の人がアメリカで大学を出てから日本に戻ってしまいました。この町にいる人は、日本からここに来たとき、なぜかそわそわして、慣れるのに5年かかったと言っていました。

西村
中国の人から、似たようなことを聞きました。日本で生活したことがある人が、借りたお金を必ず返していると、友人から、お前は変な奴だと言われているという話です。

加藤
もう1人の人は、ドイツ人でした。戦争中に日本の幼稚園に行っていたのですが、退職に近い頃でも、何か日本の中年の叔父さんという感じで、陸に上がった魚のように見えました。このような話の裏を返したようなこともあります。数は少ないのですが、日本へ1年のつもりで英語の教師として出かけたのですが、もう5 年、6年はたっているのに、いまだに日本にいるというアメリカ人の青年たちです。その内の私の友人の息子の例がおもしろいのです。その息子さんのいうには、父(私の友人)と母が子どものころから、自由と独立心に基づいて育ててくれたが、日本についたら日本の社会は、たとえば、中学の先生だったら、ある期待された行動というものがはっきりしている、と。この息子さんにとっては、日本の社会の方が気が楽で落ち着いていられるというのです。

ここアメリカは、右にならえとか、みんなで100%合意して、前例にならってとかは、あまり強調される国ではありません。このアメリカの青年にとっては、いちいち自分で考えて行動を決めるというより、社会、文化にどっぷりとつかり、角を立てずに暮らしていく方がしっくりするという考えなのでしょう。この青年のオヤジである友人は、「自分たちの教育方針は、間違いではなかったと思ったのだが・・・・。」

西村
両親よりも、学校や友人からの影響が大きいのでしょうね。

加藤
少し話はずれますが、名のある数学者で、ヒルベルト問題の一つを解いた人、モントゴメリー先生のお話をします。モントゴメリー先生が、50才代のころ、雨に濡れて家に帰ったところ、先生の80才代のお母さんが「だから朝、ちゃんと言ったでしょう。今日は雨がふるから傘を持って行けって!」i.e.子育てに終わりなし!

西村
ヒルベルトの第5問題を解いた人ですね。この問題の解決には、日本人の山辺英彦、岩澤健吉も貢献しているようですね。アメリカの大学で教えてみると、授業をきちんとやり、成績を厳密につけるので、学生とは、一旦、親しくなると日本以上という場合が多いですね。

加藤
さすがカリフォルニアの学生は、サーフィン(波乗り)が楽しみという者が多いので、時々学生に「人生を長くやっていると、自分にお似合いの波が、二度三度、運のいい人間には四度五度やってくる。」これ以後、私の学生への話しかけを続けます。「一番つまらないのは、そういったサーフィンをするのに、丁度いいのを見送ってすごす人生。しかし、自分の能力では、乗り切れない波も来る。そういった波は見送った方が、後で泣きべそをかかずにすむ。」私も、一度、これもやはりアメリカの一流日本人数学者の下で博士コースをやってみたらと聞かれたことがありましたが、これはきっぱりお断りしました。「その波」は、私に大きすぎたし、向いていないと思ったからです。

西村
西村:アメリカにいる日本人学者につくのは、良し悪しですね。人によって、向き不向きがあると思います。

加藤
「自分が辛うじて乗れそうな波をつかんで、二、三度それを繰り返すと、自力で泳いでも、とてもじゃないが行けそうもない距離まで行き着けることがある。」これは一般論で、私のことをそのまま話しているのではありません。どの波が自分に向いているのかをどのようにして見極めるのかは、その人の持っているセンスとか感の良さによるし、もう一つは運の良さもあるでしょう。

西村
西村:それは確かですね。

加藤
私と学生との年の差が、親子のそれになってきましたので、こんなことも講義中に少し話すようになりました。時々、学生が二、三人ずつ、我が家にティー・パーティといって、デザート持参でやって来て、夜中過ぎまでゆっくり人生論を語り、大いに話しに花が咲きます。それでは、奥さんは大変でしょうと、日本人なら思われるといけません。一言付け加えますと、妻は、9時に床につき、起床は朝4時45分、そして1時間のジョギングという生活のリズムをここ2,30年続けています。ですから、学生が来ていようといまいと、9時になったら、誰が訪問していようと、「グッドナイト」といって、その日は終わりです。ティー(お茶)の支度などは、私と学生でやります。まあこれもあっさりしていていいものです。

西村
西村:日本では、学生を家に呼ぶと、奥さんが大変です。元々、アメリカに比べると、レストランや居酒屋でというのが、多いですから、それはそれで良いのでしょうね。

加藤
前に、先進国は裕福病にかかっていると言いました。最近まで、日本で言うオール5、ここではそれをオールAの学生といいますが、そういった学生が、高校から大学へ入ってきて、入学早々、DとかFを成績としてもらってしまう。点数でAは4点、Bが3点ですから、DとFは1点とか0点です。これが二学期続くと、大学から学生として首になる。すなわち、退学です。このことは、すでに話しました。

西村
カリフォルニア州では、日本で言う「ゆとり教育」が他の州よりも遅くまで続いていて、それが見直されたのは、2000年頃のことですね。日本も、推薦入学や一芸入試で大学に入学する学生も増えていることもあり、大学でも授業についていけない学生が多いことが問題になっています