< 対談:グローバリゼーションの中での「ゆとり教育」再考
はじめに言葉ありき



西村
最近、日本の小学校でも、私達の頃にはなかった英会話教育が始まりました。これ には、賛否両論があるようです。

加藤
グローバル化おおいに結構、小学校英語教育おおいに結構。これまでの日本は、 文化的孤立主義を選ばなかったゆえに、漢字、仏教をはじめ外来文化は、今では日本文 化の根本をなしています。これは、いわゆるグローバル化のおかげです。日本という国 は、美的感覚に優れ「文化消化力」が強いためか、他国から禅や茶道、碁を取り入れ、 それらをアカデミーレベルまで作り上げてしまう。西洋数学、音楽もしかり。江戸前期 に現れた大数学者、関孝も立派ですが、西洋数学(今は「数学」といっていますが)で は、岡潔や佐藤幹夫など100年後の2108年になってもその業績は輝いているでしょう。 数学においては、この2人のほかに数学者の上に「大」のつく人はたくさんいるのです。 数学とか数学者のことはあとでゆっくり話すとして、前向きにグローバル化、国際化を 小学校から始めることが、21世紀以降に力強く生き延びるためには必要です。

西村
日本は、この30年近く、「ゆとり教育」というものが行われ、子供たちはそんな勉強しなくなったようです。

加藤
ゆとり教育なんか、退職もしていない小中高大学生がするものではありません。ゆとり教育というものは、還暦をとっくに過ぎた人がしてもいいことで、若いときからゆとり教育なんかしていたら、国がもたなくなってしまいます。英語教育を小学校からしっかりやり、自分の考えを英語でも日本語でも正確に伝えることができることが大切です。国語と質の良い文学も小学校からガッチリと教えるべきです。

西村
アメリカでは、1970年代に、学力低下に苦しんでいたようですが、州によっては、90年代までも、教育の改善が進まなかったようですね。

加藤
ここ米国でも、1990年代にソフト・マス(soft math)、すなわち数学の質を落として、楽しめるような数学に変えたことがありました。そうしたらアメリカでは、大学では成績が2.0以下が(すなわちA,B,C,D,Fの五段階中平均がC以下ということ)が2、3学期続けば退学になりますから、ソフトな数学ではダメということがわかりやすかったわけですが、聞くところによれば、日本は相変らず、入学は大変でも、成績が下がっても退学はないという。米国は石油もある、農業もすごい、しかし平均学力は世界でも平均くらいだと思う。表を見て下さい。このときは確かにUSA(米国)の平均は小国Aより低い。ちなみにこの図は、米国の収入額のグラフでもあります。米国は、人種、家族、価値観、審美観もそうですが、だいたい図1のように、左右の幅が広くなります。

西村
小国Aは、日本のことですか。USAの棒グラフは、インドなどで読み替えても通じますね。

加藤
アメリカは、ある意味で国内でのグローバル化をしています。図1のUSAのトップには、日本人系でもユダヤ系でもドイツ系でもあり得るわけです。その中には、教育はアメリカに来る前に受けてきている人も多いわけです。そのようなトップの人々が米国を支えているわけです。誰でも知っている人なら、アインシュタインも米国に渡ってきたわけです。米国の今があるのはグローバル化を長い間してきたからでしょう。

西村
EUができてから、ヨーロッパのグローバル化も一層進んでいますね。

加藤
ここ3、4年で気がついたのですが、ヨーロッパの学会でよく私は「あなたはどこから来ましたか?」と聞くと、聞かれた方は答えにくくなりました。一つには、どの国で生まれ育ったかということ、一つにはどこでPh.D.(博士号のこと)を取ったかということ、そしてまた一つには、今どこの国の大学にいるかということがあり、この頃のヨーロッパではこれら三つがみな異なってきたのです。

西村
国際化することは重要なことです。国際化に備えて、日本の教育をより充実させるのが本当なのですが。

加藤
日本でもこうなったらどう感じますか。ゆとり教育を続けていたら、この世界で一国として生き抜くには、日本の大学へ訪問したら半分が外人とならざるを得ないでしょう。

西村
カリフォルニアでは、スペイン系アメリカ人が既に白人より多いですね。アジア系も多いです。アメリカが、いくらでも外国人を受け入れてゆくのは、それ自体が、新しい国だからなのでしょうね。

加藤
先ほど言ったように、超一流の(「超」がつかない一流ではだめ)数学者ならいざしらず、普通の(この定義は難しいかも)数学者がこの米国という競争構造をもった社会で生きてゆくには、この国(アメリカ)がゆとり教育をしていてくれたからこそ、私のような外国人でも数学者として生きてこれたのです!