加藤さんは、数学を研究するときは、日本語と英語のどちらで考えていますか。
加藤
この30年間、アメリカで一応数学(今は少し物理も)をやってきているのですが、数学を考えている時は、主に英語で考えていることに気がつきました。それは、私の数学は95%以上は、米国に来てから学んだり考えたりしたのです。二十才代のおわりころ、小学三年のときおぼえた九九を英語で覚えなおしたことがありました。英語に切り変えそうとしたとき、6の行とか8の行がおかしくなって、今でも少しあやしいときがあるようになってしまいました。私たち(数学でメシをたべている人々)の数学は、いわゆる数、1,2,3・・・はあまり使わないので、小学でマスターした九九が、ふり出しにもどったとは言わないまでも、少しおかしくなってしまいました。
ここで言いたかったことは、言葉についてです。さきほど言いましたように、数学研究のときは、英語で考えるのですが、うまくいかないとき(そんな時が多すぎるのですが、人生はそんなものでしょうか?)は、日本語で考えてみると、うまくゆくことがあるのです。それが不思議です。
ほとんどの人は、ものを考えるとき、その人の最も得意な言葉で考えているのでしょうが、私の場合、英語のほうが得意言語とは、一概に言えない。ある分野というか、数学以外のより文学的な思考は、日本語の方が主でしょう。日記もここ30年以上、日本語で書いています(36年前、日本を出たとき以来、英語で日記を書くのをやめました)。それは、日記には、日本語の方が何かしっくりするということもありますから。言葉を変えておなじことを考えたら新しく見えるところが出てきたりするわけです。この言葉のもつ力は、思っていたよりもあるらしい。言葉を変えると思考のパターンも変わってくるらしい。
西村
異なる言葉だけでなく、異なる観点から見ることで、理解が深まるということがありますね。だから、広く学ぶことが重要なのだと思います。
それはそれとして、英語は、数学、経済学に限らず学問では世界共通語になっていますので、英語が流暢でないと、悲しいことに軽く見られがちです。
加藤
アメリカ南部生まれ育ちの名のある数学者がいました。その人の講演をしばらく聞いているとアメリカ南部なまりの英語にもなれ、その内容は深いものと気づくのですが、しかし初めは、日本語でいったら東北弁か鹿児島弁で聞いているようで、とてもたいしたことはいっていないだろうと思ってしまう。だから日本では、すまして話すときは、みんな標準語で話すのでしょう。聞くところによれば(読んだところによれば)19世紀と20世紀の境い目の前後に大活躍していたドイツ出身の大数学者ヒルベルトも、地方訛りが強かったということです。おもしろいことに、私がお会いしたアメリカで活躍しておられる外国生まれの一流の数学者の英語は、だいぶ発音がひどかった。それは逆にたいしたものです。英語がへたでも一流大学の看板教授なのですから。大学者なら、英語がへたな方がかえって値打ちが上がるくらいです。人の心理とこの社会はおもしろいものです。
西村
大学者は別で、通常は、同じ実力なら、英語が上手の方が、いろんな意味で、有利です。
加藤
これで思い出しましたが、アメリカ流に大変に太っている女性の友だちが言うには、「私みたいに太っているとこの社会では軽く見られますよ。」私がこの人と知り合う前に、息子の小学校のPTAの集会にいったことがあるのですが、この女性が「ソフト教育はよくない・・・」と父兄として会場の片隅から意見を言い始めたのです。私は、「あのデブッチョのオバさんに何が・・・」とは思いませんでしたが、あの南部訛りの数学者のときのように、しばらくしてから「この人の話しには、大切なところがあるなあ」と思い改めたことがありました。この二つのケースで学ぶことは、一つ、人の話しはていねいに最後まで聞かないといけない。もう一つは、私たち多くの人には、偏見というものがあり、表面的第一印象で人を判断しがちであるということでしょう。又、言葉もきれいに話せ、スタイルも良ければ、こういったナンセンスを通しすごさなくても自己表現はしやすいということでしょうか。しかし、あんまりきれいすぎでも逆効果があるということも、スタイルの大変良い美人から聞いております。「智に働けば角が立つ。情に棹されば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」と明治時代の夏目漱石が書いているのですから今もおなじか・・・。
西村
家柄、話し方や見た目が良いと、得をすると思います。ただ、それだけですと、身近な人や同じ分野の人には、底が知れてしまいます。しかし、そういう人が、結構、日本では有名になり、影響力を持っていることがあります。
さて、話は尽きないところですが、時間も迫ってまいりましたので、本日はこの辺で終わりにしたいと思います。本日は、お忙しい中、対談にお付き合いいただきましてありがとうございました。